今から13年ほど前、私が冤罪で逮捕される2年前のことでした。ある名門の一族が暴力団にからまれ、警察が呼ばれる騒ぎになったのですが、民事不介入ということで表沙汰になることはありませんでした。騒動の原因は名門の当主が乱発した手形にあり、この数十枚の手形をめぐって、大阪と東京のヤクザが入り乱れて、ドタバタとなんとも賑やかなことでした。私は知人の依頼を受けて、乱発された手形の実態調査に乗り出しました。2ヶ月程かけて関係者から事情を聴取し、手形の一枚一枚を丹念に追跡した結果、その全体像を把握。なんと、典型的な手形パクリ事件だったのです。
パクリ屋にはじまり、シンカー(沈め屋)、サルベージ(手形回収)屋と、まさに事実は小説より奇なりを地でいくものでした。私も手形のパクリ事件に遭遇するのは初めてのことで、一枚のパズルを完成させるような謎解きのスリルと面白さがありました。
調査の結果、サルベージ屋が手にしている合計額面十数億円の手形は全て、手形法上の効力を持たないものであることが判明。プロの経済ヤクザとはいえ、致命的なミスを犯していました。判例で確定している、ある要件を欠いていたのです。上手の手から水が漏れた、といったところでしょうか。
私は調査結果を報告書にとりまとめ、依頼を受けた知人に手渡しました。これから先は弁護士の仕事です。ほどなく、手形パクリ事件は終結いたしました。
この手形パクリ事件には何人かの弁護士が登場します。その中の一人が田中森一弁護士だったのです。
私のレポートは、私が11年前に逮捕された時に松江地検に押収されていました。私の逮捕容疑とは全く関係のないものですが、ドサクサまぎれに持っていったようです。勿論この押収は適法なものではありません。
私を逮捕し、その後40日間にわたって尋問した中島行博検事は無類の話し好きで、私の事件の取調べに欠かすことのできない、会計とか税金について、シロウトならではの面白い“独自の見解”(一人よがりのこじつけのことです)を展開してくれたり、事件とは関係のない多くのことを話しかけてくれました。接見禁止となっていた私には、退屈しのぎができる格好の話し相手だったのです。この検事、次から次へと面白い話を繰り出すものですから、尋問中はせっせとノートに要点をメモし、尋問が終って独房に帰るや改めて克明な記録として残したものです。この手形パクリ事件についてのやりとりについても、『
冤罪を創る人々』の中で忠実に再現していますので、ここに引用することにいたします。ここで検事が喋っているT弁護士が田中森一弁護士です。
七、 「手形パクリ事件」
「山根のところから押収したものの中から、面白いものが出てきたが、この手形パクリ事件って一体何なんだ。
なんだって、会計士の守秘義務があるから話すことはできない?ま、いいだろう。
でも、あんたの作成した調査報告書は読ませてもらったよ。なんせ押収品だからな。ここに出てくるT弁護士ってのはオレもいささか知っているんだ。検察のOBだからな。
Tが検事として東京地検の特捜部にいたときのことだった。九州のK町の町長が多額の使途不明金を出したことがあった。この事件の主任検事となったTは、上司の許可を得ないで部下の検事をひきつれて、K町に乗り込んだ。このとき福岡空港で週刊誌の記者にバッチリと写真に撮られ、スキャンダラスに大きく報道されることになった。
このことが一つのきっかけとなって、Tは検察をやめたってわけだ。弁護士になったTは、もっぱら闇世界がらみの仕事を手がけ、そのためだろうな、Tの稼ぎは弁護士としては断トツだ。
それにしても、山根はよくここまで調べ上げたな。感心するよ。これだけでも立件できるんじゃないか。
なに?そんなことしたら藪へびだって?・・・フーン、M地検の検事正がからんでいるのか。そんなら無闇にいじくることはできないな。」
昭和16年生まれのM地検の検事正は、現在は退官し広島で弁護士事務所を開いている。
自家用ヘリコプターを乗り回すほど羽振りのよかったヤメ検のT弁護士は、その後大型詐欺事件の共犯者として逮捕され、公判中である。
(
冤罪を創る人々、第四章.権力としての検察 ― 暴力装置の実態 P.182~P.183)
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ここで一句。
“運送屋父の口癖「うんそうや」” -北九州、小田八千代。
(毎日新聞、平成19年5月21日号より)
(このところ敗訴が続いている知人の弁護士。親友のとぼけた会計士、問うて曰く、「あなたはもしや敗訴弁護士ではありませんか。」答えて曰く、「はいそうです。」)