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江戸時代の会計士 -12 . はてなブックマーク  Twitter   2005-11-01

 恩田木工が提言した7つのことがらは、領民にとっては都合の良いものばかりでした。この7つの提案を前提として、いよいよ領民の負担となる3つの提案を“無心”という言葉を用いて切り出すのです。ちなみに無心は、広辞苑によれば「遠慮なくものをねだること」とされています。
 恩田木工が領民に対して行った無心の第一は、次のようなものでした。
“先納・先々納致候者共へは、何卒(なにとぞ)御返済なされたきものなれども、皆知りたる通り一向御引当(おひきあて)これなく、その上に今皆の聞く通り、未進(みしん)の分は呉(くれ)て仕廻(しまい)ければ、弥以(いよいよもっ)て先納・先々納の分へ返済出来ぬなり。依って、只今まで先納したる分は御上(おかみ)の取り得にして、其方(そのほう)共は出し損にしてくれよ。この所が皆への無心なり。得心してくれ候や。”
(年貢を一年分あるいは二年分先払いしている領民に対しては、殿様としては何とかしてご返済なさろうとはお考えになるものの、皆も知っての通り、全くもって返済の財源がなく、その上に今皆が聞いての通り、未納の分は棒引きにして徴収しないことにしたために、いよいよもって先払い分の返済ができないことになった。よって、現在までに先払いした分は、殿様のもらい得、先払いした者達の払い損ということにしてはくれないか。このところが、皆への無心である。承知してくれるだろうか。)
 つまり、年貢の先払い分を帳消しにして欲しいというのです。
 これに対して領民たちは、口を揃えて同意するのでした。
“畏り奉り候。向後(こうご)先納・先々納申しつけまじくと先刻仰せつけられ候へば、只今まで差上げ候分は一粒も頂戴仕(つかまつ)るまじく候。左様御聞き届けなされ候様に。”
(謹んで承りました。今後は、先納・先々納を申し付けないと先刻仰せられましたので、これまで先払いいたしました分は、一粒の米といえどもお返し下さらなくとも結構でございます。そのように承知おき下さいますように。)
 木工の第一の無心を快く受け入れてくれた領民に対して、恩田木工は、
“先づ以て皆々得心してくれて、千万過分に存じ候。”
と謝意を述べた上で、第二の無心を切り出します。
“その無心といふは、右の先納・先々納を損にして、その上当年貢を上納してくれよ。左(さ)なくては、一向御取続きに相成らず候。もしこの儀、其方共得心してくれねば、手前が切腹といふはここの事じゃ。”
(その無心というのは、先納・先々納を帳消しにした上に、当年分の年貢は上納して欲しいということだ。そうでなければ、藩の財政がうまく回っていかなくなる。もしこの件について、皆が納得してくれなければ、私は腹を切らなければならぬことになる。)
 木工が切り出した第二の無心は、年貢の先払い分は棒引きにした上で、当年分の年貢を納めて欲しいというものでした。
 更に木工は言葉を継いで、領民の損得勘定を示して、領民にとっても決して悪い話しではないことを明らかにします。
 ここで出てくるのが算用(さんよう)という言葉であり、算者(さんじゃ)という言葉です。算用とは広辞苑によれば、数を計算することですので、算者とは数を計算する人、経理マン、あるいは数理の専門家である会計士といったところでしょう。
“其方共も算用してみたかも知らねども、手前算者に積もらせ、自身にても当ってみたれども、”
(皆も計算してみたかも知らないが、私も、計算の担当者に積算させ、私自身も計算してみたところ、)
と前置きをしている通り、部下の算者に損得の計算をさせているばかりではなく、木工自らも計算のチェックをしたと言っているんですね。算者の計算をチェックして確かめたというのですから、恩田木工自身、算者に匹敵する、あるいはそれ以上の計算能力を有していたのでしょう。
 領民を心底から納得させるために、領民の損得勘定を数字で示そうとしたところに恩田木工のユニークな姿勢がうかがえます。
 “由らしむべし、知らしむべからず”といった統治者からの一方的な政策ではなく、藩の内情と税の徴収実態を領民に明らかにした上で、領民と共に藩の財政改革を推し進めようとしたのです。

 恩田木工より前に、財政問題のエキスパートとして、松代藩の財政再建に取り組んだ男がいました。田村半右衛門という人物です。
 この人物は、権力をふりかざして支出の大幅削減という強硬策を実施したのですが、当然のことながら領民の大きな反感を買い、大規模な百姓一揆を引き起こしただけでなく、下級武士である足軽の一部も巻き込んで大騒動にまで発展し、せっかくの財政改革も完全な失敗に終ったのでした。田村半右衛門は、命からがら夜逃げ同然の形で信州松代の地を後にしています。
 この失策を目の当たりにした恩田木工は、藩の財政改革を実りあるものとするためには、何よりも領民を心から納得させることが必要であることを肝に命じていたことでしょう。

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。
“マニフェストまた選挙までお蔵入り” -平塚、たびっと。
(毎日新聞:平成17年10月18日号より)

(「このくらいの公約を守らないなんて、たいしたことではない」と国会の場で堂々と居直った首相。片や切腹覚悟で領民との話し合いに臨んだ恩田木工。)

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