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021 最終弁明の大意 . はてなブックマーク  Twitter   2016-11-29

一、検察の意見書


 裁判長の要請に従いまして、時間内に終えるため早口で最終弁明の大意を申し述べます。感情が入りませんが、これはあくまで裁判長に協力してのことであります。反省の情を表現する場が与えられず、行動をできずにきたわけであり、決してこれをもって、判決で反省の情がないなどと言わないでください。

 それではまず昨日検察側から提出されました意見書について申し上げます。パッと目を通したところ、枝葉末節のことばかり書いてありましたが、大筋では私の反証を認めるしかなかったようです。
 一点だけ、手持ち株の「累計の計算が間違っている」とあります。虚構を重ねようとしておられるのか、それとも、無知なのかはわかりませんが、計算など間違ってはおりません。後日提出いたします私の陳述書の中に[不連続の関数]という言葉が出てきます。この所をよく読んでいただければ、おわかりいただけます。この前ご説明申し上げましたように、57年8月私から約10億円分の株をグループは借りたわけであり、57年8月からの累計は、ゼロからスタートすると思考すべきです。マイナスの概念は、実物経済にはないのです。当局は算数的思考しかできず、数学的頭脳に全く欠けているのです。そして低能なる思考を、脅迫と技巧により公判で通そうとしているのです。この件は詳しくは書面にて説明いたします。

二、刑事に一言


 警視庁生活課鹿野刑事に一言。昨日、検事を通じてまたまた、何とかごまかそうとする報告書を読みましたが、あまりにも裁判所と弁護人をバカにしすぎです。5月28日の準備手続きにおいても、裁判長の目の前で、「損益を出すのに、損益計算書など必要ない」などという暴言をはかれましたが、この発言を公判廷で宣誓してでもできるでしょうか。公認会計士協会と税理士協会に「損益を出すのに、損益計算書が無意味かどうか」聞いてみていください。警視庁生活課の刑事として良識を疑われるだけです。損益計算書とは、まさに損益を収入と支出の面からみるためのものです。今後まだ、虚構の上に虚構を重ねられるのなら、私にも考えがあります。とりあえず鹿野暴言を準備手続き調書に入れていただきたいと思います。

三、検察に一言


 次に検察に申し述べます。被告人が真相を公判廷で裁判長へ述べることや、検事の虚構を暴くことは、反省の情がないということなのでしょうか。こういった考えは、検事による法と裁判への挑戦と同じです。113日間の取り調べの間、妻や他の社員の「起訴留保」という言葉に脅迫を受け続けました。しかし、今は逆です。偽証罪で告訴する権利を私が留保しているのです。弁護人達の「あの裁判長なら必ず会計、数学を理解してくれるのだから、判決まで待て」という言葉を信じ、留保しているのです。しかるに、昨日のようにまだ、検察の虚構の露呈に対して「反省がない」という言葉で被告人を脅迫するのなら、私も徹底して闘います。公認会計士100人に鑑定させたなら、あのバランスシートからの結論は私と同じ結論になるはずです。すなわち、
  1. 57年3月、5億円以上の株券もしくはキャッシュを中江が持っていた
  2. 返済能力は59年8月まであった
  3. 中江は他での儲けをこのグループに23億円逆につぎ込んでいた
ということです。客観的数字により、検察の虚構はもはや崩れ去っているのです。

四、偽りのリークとマスコミの報道姿勢


 次にマスコミ諸兄に一言申し上げます。
 当局が発表することの全てが真実であるというわけではないことをわかっていただきたいのです。

⒈ 出頭のいきさつ

 昭和60年6月19日、私は逮捕となりました。当局の発表は、私が急に出頭したかのようにしたようですが、事実は違います。
 少しさかのぼって説明しますと、逮捕の約1年前の昭和59年4月に証券金融を2年以内にやめるということで当局と話し合ったのが最初でした。そして、59年8月の荷物隠しの指示、続いての海外へ出るようにという指示も、全て警察庁トップの命令でした。このトップが誰であるかは、当時の警視庁内部における人事問題を知る人なら誰でも推察できることであり、賢明なるマスコミ諸兄にあえて名前を告げるまでもありますまい。
 私は59年8月24日の強制捜査後も、当局とずっと連絡を取り続けていたのです。私が「逃げていた」のではなく、当局が「逃げているように」命令していたのです。
 全ては出来レースの出頭劇だったのです。私は昭和60年1月に現弁護人に海外から電話をし、近々現場の刑事が弁護人の事務所へ行くことを予告しました。なぜ、私がこんなことを予告することができたのでしょうか。無論、警視庁と裏で連絡が取れていたからです。警視庁は逮捕間近になり、体裁を繕うために表向きは弁護人を通して警視庁と連絡を取っているかのようにさせたのです。
 その後はごく普通の形式的な出頭の形となっていくわけです。生活課の刑事と弁護人の話し合いにより、帰国、出頭の日付を決めていきました。そして待ちに待たされ、昭和60年6月4日、私は群馬県のホテル天坊で刑事と出会い、任意出頭したのです。それからは逮捕されるまで、ずっと刑事と共同生活を送っていました。
 私が6月19日、急に出頭したかのように発表した当局は、明らかにウソの発表をしたのです。そして、諸兄はそのウソのニュースをウソのまま報道したわけです。

⒉ 30億円費消の真相


 他にもあります。諸兄は、私がこの投資ジャーナルグループの金を約30億円近くも費消したかのような当局のリークを受け、さも真相が解明されたかのように書きたてましたが、実際は違います。
 実は投資ジャーナルグループの金など、私は1円たりとも使用していないのです。いや、逆に今は約23億円も投資ジャーナルグループへ、私が自分の才覚により株で儲けた金をつぎ込んでいたことが、客観的な数字で証明されているのです。簿外で使ったといわれる約30億円も、全て私がみずからの才覚に基づいて投資ジャーナルグループとは全く別に株で儲けた金を使っていたことが、経理資料の精査により証明されたのです。この真相を聞いて、まだ詐欺と断言できる人がいるでしょうか。判決が出るまではわからないはずです。

⒊ 客注株の取次について


 諸兄は、投資ジャーナルグループは客注株を全く取りついでいなかったかのように書き立てましたが、事実は約7割は取りついでいたのです。被害者の方々はマスコミ諸兄の書かれた記事を信用し、投資ジャーナルが全く買っていなかったと思い込んでしまい、怒りをつのらせておられるのです。
 マスコミ諸兄はよく競馬をされるようですが、もし、友人に馬券を買いに行ってもらうことがあったとします。友人は競馬のプロであったとします。友人が10の内、友人が薦めたレースの7つしか買わず、後の3つを呑んでいたとしたら怒るでしょうか。10のうち10とも買っていなかったら、何かバカにされたように思うかもしれませんが、10の内7つは買って3つだけは明らかに外れるとわかっていたので呑んだとしたら、駄賃のようなつもりになれるのではないでしょうか。しかも、もしその買っていない馬券が当たったとして、その友人が自腹を切って精算したらどうでしょうか。逆にその友人に信頼感すら覚えるのではないでしょうか。また逆に、その馬券が当たらなかったとして、「呑んでおいたからその分で飲みに行こう」とその友人が冗談交じりに言った時、何か儲かったような気になり、その友人が頼もしくさえ見えるのではないでしょうか。

⒋ 被害者の予断とマスコミの責任


 本公判廷で証言された被害者の方々は、まさに当グループが100%取りついていなかったと、マスコミと当局によるウソによって思わされておられるのです。
 いや、当グループが100%取りついでいなかったと思うどころか、さらに、その保証金を清算する意思さえなかったと、もう予断に凝り固まってしまっておられるのです。そして、その被害者の方々の思い込みを利用して証言させたのが、検事だったのです。
 この予断を抱かせたのは、当局の発表を鵜呑みにしたマスコミ報道なのです。真実を聞き、真実を理解した時、被害者の方々は「キチッと清算さえしてくれれば、買っている買っていないなどということは、そんなにメクジラをたてる問題ではない」と言ってくれると確信しております。株をやっている人というのは、そういうものなのです。遊郭には遊郭のルールがあるように、ラスベガスにはラスベガスのみで通用する慣例というものがあるように、株を頻繁に売り買いする投資家の間には筆舌で言い表せない独特の暗黙の了解というものが、法律が介入する以前の問題として存在するのです。

⒌ 偽りの報道と被害の発生


 その他では、もっと重大なマスコミの責任があります。投資ジャーナルには59年8月、返済能力が存在した事実が、今や数学的に会計学により証明されております。もし、マスコミがああいった当局に迎合する形で報道しなければ、被害者は一人として存在しなかったかもしれないのです。
 むろん、被害者が出た責任の根本は私であり、私の不徳のいたすところであることは十分わかっております。しかし、もう少し自分の足、自分の眼で確かめて記事を書くことはできないものなのでしょうか。
 私の記事はすでに、マスコミにとっては風化された事件ですが、今後の他の事件報道においては、当局の発表を全部正しいとは思わず、報道活動をしていただきたいとお願いしておきます。

⒍ サンケイ新聞に一言


 本年の3月25日の本件の論告求刑の次の日のサンケイ新聞だったと思いますが、あの記事はひどすぎます。プライドというものが全く感じられない記事です。明らかにウソを書いている、しかも、私の公判供述を会話として記事にして、それでいて明らかにウソを書いている。
 あれを書いた記者の方々に公判供述の速記録を差し上げたい。私は公判で自分自身のことを指して「わし」などという言葉は使ったことがありません。この言葉の使い方は、まさにマスコミの作り上げた中江滋樹の虚像です。サンケイ新聞ともあろうものが、証拠として残っている公判供述の会話を勝手に変えて記事にするというのは、およそマスコミの司法記者としての良識を疑います。どなたか知りませんが、何らかのチャンネルを使って、私にいつの日か一言、「悪かった」と謝って下さい。そして、あんな書き方をするのは私を最後にしてください。
 マスコミの役割は、今後ますます重要となってきます。当局の発表を鵜呑みにして報道する姿勢を我々の世代から改善させていかないと、日本はますます一部権力者の思うがままになってしまうことでしょう。もっとマスコミ人としてのプライドをもって仕事をしていただくことを熱望いたします。
 マスコミに、これ以上叩きようのないくらい叩かれた私にしか、マスコミに苦言を呈することはできないと思い、この場を借りて一言申し添えさせていただきました。マスコミ界のことをよく知らない私が生意気を言ったことをお許しください。

五、弁明の大意


 それでは弁明の大意に入ります。
 ここに敢えて「弁明」と申しますのは、「意見陳述」を更に深めたものであるとご理解下さい。
 つまり、弁明とは、文字通り「弁じ明(あき)らめる」ことであり、物事の筋道を明らかにして説明することです。言い訳を意味するような「弁解」ではありません。当局とマスコミによって大きくゆがめられた真相を、正しい姿において客観的に明らかにしていくということです。

 私は全ての真相を書面にしてまいりました。この書面を解読さえしていただければ、本件の真相を必ずやご理解いただけるものと確信いたしております。経理資料を受け取ってから1ヵ月半の間、全身全霊を傾けて解析いたしました。「真相は我にあり」との信念が、ついに客観的な数字による真相究明を可能にしてくれたのです。数学、物理学という絶対的な真理により、そして何よりも会計学という経理の科学により、私が当公判廷で、裁判長へ1年半訴え続けてきた法廷供述こそが真実であることを証明できました。
 神に導かれるがごとく、数学による客観的反証ができたことは望外の幸福であります。私は罪の有無、刑の軽重を争ってきたのではありません。「真実の下での裁き」を渇望して闘ってきたのであります。本証明は公認会計士はもちろん、多くの識者の方々に認定を得、支持を得たものであります。検察はこの科学的証明の前に、もはや彼らの調書、起訴、論告の虚構を認めるしかありません。
 私の当公判での目的は、すでにこの真相の絶対的証明により十分に達成されました。これで真相の下に、私を含め全員の被告人が裁いていただくことができると心より安堵しております。膨大な量の計算と原稿の作成に精も根も尽き果てました。
真相が証明できたからといって、社会を騒がせた罪が消えるものとは思っておりません。今回の事件により、結果的にとはいえ一部会員の方々に返済できなくなってしまったことを、深く反省するとともに深くお詫び申し上げます。
 「反省」と「返済」という重荷と十字架を背負って、今後の人生を生きていこうと心に誓っております。他の被告人達にまで、重荷と十字架を背負わせる結果となってしまい、謝る言葉さえ見つかりません。願わくば、他の被告人に対しては、格別のご配慮とご寛容をお願い申し上げます。特に、残された佐藤典明に対して、かけがえのない人生の自由を与えてやっていただくことを、心よりお頼み申し上げます。
 多くの方々の励ましがあったればこそ、今日まで恥をさらしながらも、生き延びてまいりました。いつの日か、このご恩に報いることができるよう日々精進し、真摯な態度で生きていきたいと思っております。一日一日を地獄と受け取り、「南無地獄大菩薩」と唱えながら、一日一日が罪を浄化していってくれるものと信じ、祈りながら、反省と返済の日々を生きていきます。
 長い間、お手数を煩わせました裁判所関係の方々や東拘の方々、更には信念をもって弁護をしていただきました弁護人達へ心より感謝いたします。
 

六、裁判長へのお願い


 最後に裁判長に今一度お願い申し上げます。結果として、被害者が出てしまったことについては、生涯つぐなって生きていきます。ただ、いくら見せしめのための裁判とはいえ、真相がここまで客観的に反証された以上、判決に十分なるご考慮とご配慮を賜りたく、伏してお願い申しあげます。
 ともあれ、全ては終わりました。今後の私の人生は、裁判長の判断に全てをゆだねることといたします。厳しい裁判長でしたが、電卓を使用させていただいたことや、山根公認会計士との確認の場を持たせていただいたこと、さらに、5月28日2時間にわたって、私の反証を聞いていただいたこと、これらのご恩を忘れるものではありません。電卓があったればこそ、客観的に真相を数字で証明することができ、正確な判決を受けることができるようになりました。
 山根先生とゆっくりと出会えたからこそ、私の証明に対する会計学上の認定を受けることができました。5月28日に2時間、時間をとっていただいたからこそ、客観的証明をすることができ、真相をご理解いただく大きな一歩となったと心より感謝しております。あとは数学、物理学、会計学をわかってもらえるかどうか、裁判長の頭脳にかけます。
 返済できなかったことは、相場の天才、中江滋樹にとって一大痛恨事でした。投資ジャーナル全元社員、全被告人を代表しまして、元会員の被害者のみなさまへ心よりお詫び申し上げます。「誠に申し訳ありませんでした」「お許しください」。いつの日か、必ずや返済させていただきます。
 以上をもって、中江滋樹の最終弁明の大意とさせていただきます。
(この項おわり)


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