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009 証券金融を始める前に大量の資産をもっていたことの証明-重要争点その1(主証明) . はてなブックマーク  Twitter   2016-09-13

2,証券金融を始める前に大量の資産をもっていたことの証明-重要争点その1


 この証明は、主証明3つと補助証明7つにより構成いたします。
 57年3月末、大量の手持ち株があったことを、あらゆる角度から証明していきます。主証明だけで数理的に十二分に証明されるのですが、念のため、補助証明も加えておきます。

主証明➀ 『57年4月から57年8月までの株券の総量からみての数理的逆算による証明』


 表1を見てください。57年4月から、57年8月までの株券の総量の移動のみを追った表です。顧客よりの預り株と返戻株の差が、差引預り株券です。証券会社での買越しを出し、それに評価損益を加え、修正したものが差引買越株です。全て、検察の資料の数字よりはじき出しました。そして、前月からどれだけの株が増減したかを計算したものが、総計増加株の欄です。
 対顧客との預り株、返戻株、証券会社との買い越し、売り越し以外には、私を含めた当グループへ、株券が入ったり出たりすることはありません。入ってきた株券の評価の動きは、評価損益を加えていますので、それで修正されています。
 本来なら、これらの株が、全て会社の金庫に入っているわけです。もしくは私が手持ちするわけです。ところが、当社は、親証券金融へ担保に入れていた場合があります。もう一つは、証券会社の信用取引および先物取引の担保代用として株券を入れていた場合があります。
 これらの合計を出したのが、次の合計担保差入れ株の欄です。総計増加株の欄と合計担保差入れの欄を比較しますと、私が手に持っていた株がわかるということです。

 57年3月末現在、親金融と、証券会社の信用取引および先物取引への担保として、合計で1億6792万円分の株券が入っていました。
 57年4月、差し引き1億5740万800円分の株が、顧客からの預かりと証券会社での買いつけにより、投資ジャーナルグループへ入ってきています。ところが、親金融と証券会社へ担保代用として差し入れられた株券は、その月には1億974万3000円しかありません。
 ということは、その差である4765万7800円分の株券は、私が手に持っていたということです。これ以外には考えられません。株券が消えてなくなることはあり得ないのです。ここで、株価の上下は、どうなるかと思われる人がいるかもしれませんが、それはすでに差引買越株を出す時に計算済みです。すなわち、(当月の買い代金)-(当月の売り代金)+損益として差引買越株を計算しているからです。買代金-買入原価=差引買越株ということです。
 5月も4億9558万5568円分の株が入ってきているのに、3億5839万2018円分しか、親金融と証券会社の信用へは差し入れられていません。すなわち、差し引きの1億3719万3550円分の株券は、中江が手に持っていたということです。
 4月分と5月分で、1億8485万1350円分の株券を、中江は最低でも、この57年5月の時点で手に持っていたことがこれで証明されます。この中江の手持ち株が、もし売られていたのなら、証券会社の口座で売りと出るはずであり、その時は、差引買越株の数字が減ってきます。また、証券金融へ差し入れて中江が金を借りていたのなら、親金融への新規差入株の数字が増えるわけです。また、客に返戻していたら、差し引き預かり株券の数字が減り、総計増加株の数字が減るということになります。
 すなわち、取引口座が漏れていないとすれば、あらゆる場合を考えても、中江がこれらの株を手持ちしていたとしか、考えられないわけです。それが客観的にみて自然であります。と申しますのは、入った株を全て親金融や証券会社の信用取引の担保に差し入れるということは、逆に不自然だからです。
 親金融に入れるのは、キャッシュを借りるためであります。資金的に余裕があれば、何もわざわざ日歩6銭もの金利を払って金を借りる必要はないのです。私が不必要な金を親金融から借り入れることなく、株券で手持ちしていたのです。
 多くの証言によって、私が日ごろ持ち歩くバッグの中にだけでも数億の株券が入っていたことが明らかとなっております。大山君に58年8月、私が高血圧症で倒れた時、大量の株を渡した事実や、しかも、それが私の手持ち株のほんの一部にすぎなかったことからしても、私がいつも、大量の手持ち株を持っていたことは明らかであり、私の手持ち株をゼロとする警視庁や検察の考え方こそ、不自然かつ観念的なものにすぎません。

 この事実は、これから説明していくことにより、100%客観的、合理的に明らかとなります。私が多額の株式を手持ちしていたという事実について、これまでの説明で疑問を持つ人がいたとしても、今から数分後にはその疑問は間違いであったことに、気づくことになるでしょう。
 6月、同じように2億6078万1400円分の株券が入ってきているのに、2億3182万9018円分しか担保には使われておりません。残りの2895万2382円分の株券は、中江が手持ちしていたことになります。
 6月末の段階で見てみますと、合計2億1380万3732円の株を最低でも手持ちしていたことになります。

 そのような株券は、どこかで処分したのだろうという人が、いるかもしれません。浅薄な考えしかできない検事などはおそらくそのように言い張ることでしょう。しかし、虚構は必ず崩れます。検事達はうまく裁判官を騙したつもりでいたでしょうが、残念ながら客観的な証拠物により、検事達が創りあげた虚構はすでに暴かれたのです。
 この段階で、手持ちしていたという私の説明を疑っていただければ、疑っていただくほど、これからいたします更なる証明により、逆に私を信用していただくことになるでしょう。同時にこの裁判に対する認識は180度変わることとなるでしょう本間氏の証言が偽証である証明も、これによってなされます。続けます。

 57年7月、6億2000万8340円分の株券が、グループに入りました。親金融を使わず、信用取引をしていなければ、当然これら6億2000万8340円の株は全て、私の手持ちとなっているわけです。ところが、実際には、親金融を使っていたわけであり、信用取引もしていたのです。57年7月だけで、4億7767万3762円分の株券を親金融と信用取引の担保に使っています。6億2000万8340円の株券が入り、4億7767万3762円の株を出したのですから、57年7月だけで、差し引き1億4233万4578円分の株券を私が手持ちにしたということです。つまり4月より累計で考えますと、3億5613万8310円分の株券を、私は手持ちしていたことになります。もし、そんなに多くの株券を手持ちできないと考える人がいるなら、それはまさに偏見であります。

 10億円分の株券は物理的に所有できないでしょうか。いや、そんなことはありません。キャッシュとは違うのです。時価1000円の株であれば、わずか10枚の千株券で1000万円となるのです。10億円分の株券の量といってもそれほどのものではないのです。
 他に、私が57年7月末10億円以上の株を持ってなどいなかったと疑う理由は何でしょうか。それは、マスコミの作ってきた中江滋樹像であり、検察が捏造した調書による偏見というしかありません。偏見にもとづく予断と言ってもいいでしょう。
 しかし、そのような偏見は今、まさに打ちくだかれるのです。そして、偏見を棄て去り、客観的な数字を見つめることにより、私という人間を冷静に判断していただきたいと思います。「目からウロコが落ちる」という言葉がありますが、この事件の真相を把握するために、私が説明することに引きつづき耳を傾けて下さい。

 57年8月、3億8013万1460円の株券が入ってきました。客からの預り株が2億5783万3820円分、証券会社で買越した株券が1億2229万7640円分。この中には、前月末よりの株価の評価損益も含まれております。全てを考慮しての株券の入りが、57年8月は合計3億8013万1460円であったということです。
 ところが、57年8月末には、証券会社へ信用取引の担保として1億3289万8726円分の株券が差入れられています。また、親金融には、何と16億9679万8992円分の株券が差入れられているのです。この合計担保差し入れ株が、18億2969万7718円です。3億8013万1460円の株券しか入ってきていないのに、18億2969万7718円分の株券を、私は親金融と証券会社へ担保として、57年8月に差し入れているわけです。
 もし、検察側がこれまでの主張を撤回して自己矛盾を覚悟の上で、買いの口座が抜けているなどと恥ずかしげもなく言い訳してきたとしても、私は57年8月、親金融より5億1930万円しか借り入れしておらず、親金融へ入れた16億9679万8992円との差額11億7749万8992円は、自分で出したこととなり、この時点で私は最低でもキャッシュを11億7749万8992円持っていたことになるのです。かつ、8月の総計増加株3億8013万1460円分から証券会社へ差し入れた株1億3289万8726円を差し引いた、2億4723万2734円の株をも手持ちしていたことになります。

 しかし、現実的には、キャッシュで11億円を持っていたということは考えられません。私が持っていたのはキャッシュではなく、11億円分の株券だったのです。私は担保に差入れている株が再び流されないために、大量の株券をこれみよがしに提供したのです。確かこの当時も、ヘンなデマが流されていました。そのために8月か9月に一年前と同じように、投資ジャーナル銘柄がストップ安をしました。ところが、私は今度はひるむことなく、逆にその下げを買い向かい、数日後、ストップ高をまじえて株価が急騰したのを覚えています。56年の悪夢を繰り返さないために、親金融へは余分に担保を提供したわけです。そのために、手持ちの株を14億4956万6258円も出してきたのです。
 57年8月には3億8013万1460円分の株しか、理屈からすれば、投資ジャーナルグループは他から入手することができません。それなのに、18億2969万7718円もの株が、親金融と証券会社に担保として、増えて入っているのです。こんなことがあるでしょうか。あり得ないことです。ただ、一つだけ、この矛盾に答えるものがあります。それは、私、中江滋樹が保有していた中から出したということです。それしかありません。この57年8月は、私が関東電化株の闘いを再びしている時です。一年前の悪夢の再来がないように、私は親金融に大量の株券を入れ、わずかしか金を借りず、私の資金の豊富さを誇示したのであります。

 受け渡し不能といった一年前と同じデマをはね返すために、57年7月末私が手持ちしていた14億4956万6258円分の株を、翌8月に親金融へ入れたという事実によって、私は57年3月末、証券金融を始める前に、最低でも10億9342万7948円分の株、もしくはキャッシュを保有していたことが証明できたわけです。 
 つまり、57年4月、5月、6月、7月で手持ちしていた3億5613万8310円を14億4956万6258円から差し引いた10億9342万7948円は、57年3月末に持っていたか、あるいは、57年4月から、8月の間に洩れている口座で買い付けたかのいずれかしか考えられないのです。後者とすれば、その分キャッシュを持っていたこととなり、57年3月末時点で資産を大量に持っていたことには変わりないのです。
 ソニーの株を約2~3億円分預かり、それによる関東電化株での損は、わずか1億円弱であったことは別項で証明いたしましたが、それによりその残1~2億円分、そして私のかねてから持っていた雑多な株が最低で5億円分、さらに56年10月以降の金融をあまり利用していない売買を考えるなら、10億円以上の株券を57年3月末に、私が手持ちしていて当然となります。
 以上のような動かしがたい数字をもとにした証明により、全ての検察の虚構はもろくも崩れ去りました。検察の調書が全て捏造によって作成されたことも、同時に証明されたことになります。加えて、本間検事の証言が偽証であることも、ここにはっきりとしたわけです。

 法を司る立場の検察官があんなにも、しゃあしゃあとウソをついたわけです。しかも、公判という神聖な場所でです。これは、まさに裁判に対する冒涜であり、挑戦であります。本間検事や丹波検事、さらにこのインチキ起訴を指揮した安野検事は、責任をとっていさぎよく辞表を書くべきであります。これだけ、客観的に彼らの虚構、虚偽偽証が明らかとなった以上、裁判所は大いなる決断を持って、判決に臨んでいただきたいと熱望いたします。

 これまでの説明により、57年4月に東証信を始める以前に、私が大量の株を保有していたことが証明されました。町村愛子調書が捏造されたものであり、その愛人であった鈴本真人氏の証言が偽りの自白であったことが証明できたと存じます。

主証明② 『56年9月末から57年4月末までの関東電化株の売り越し株数からの証明』


 主証明①により、もはや十分に57年3月末時点で、大量の株を手持ちしていたことが証明され、結果として検察のウソはあばかれたわけですが、さらに角度を変えて、私が証券金融を始める前に、いかに大量の株を手持ちしていたかを証明いたします。

 主証明②といたしましては、関東電化株の売買状況からみて、私が56年9月から57年3月末にかけて、多額のキャッシュもしくは大量の株を持っていた証明をいたします。

 銘柄別株式売買集計表を見てください。右端に、銘柄在庫という欄があります。56年9月30日、73万7000株の在庫となっております。57年4月27日には、38万5000株のマイナス在庫となっております。ということは、56年10月1日以降、57年4月27日まで、実に差し引き112万2千株もの関東電化株が、売られて受け渡しを完了しているということです。55年より56年9月末までに、73万7千株買い越しているということですから、それ以前に38万5千株を買い付けていたことがこれでわかります。関東電化株をだいたい100万株もっていたという、私の当法廷における証言とも合致いたします。112万2千株を売り渡し、受け渡しを完了しているということは、実際に保有していたからこそできるのであります。

 56年9月末の親金融よりの借り入れは、資料によるとJBSより2億4846万2480円です。2億7363万円分の株券が61万4000株、担保に入れてあるという資料しか残っていないとのことです。関東電化株ばかりが入っているわけではありませんので、数字の上から関東電化株の株数を推測してみます。
 56年9月末の関東電化の株価は約650円でした。これだけの資料をもとに関東電化の株数をはじき出してみます。関東電化の株数をXとします。関東電化以外の株の平均値を、当時の平均的株価とされる300円と仮定します。すると、300円×(614,000-Ⅹ)+650円×X=2億7,363万円となります。この方程式を解きますと、25万5000株となります。つまり9月末、JBSには関東電化の株式が25万5000株であったと推計されるのです。下山証言ともおよそ合致いたします。
 仮にほとんどの株式が関東電化株であったとしても、最大でも40万株です。常識的に、残りの21万4000株で、1363万円分の時価評価になるようなことはあり得ません。残り株の平均株価が60円くらいとなるからです。それでも、最高で40万株と覚えておいてください。他の金融屋には、合同信用に3千株、日本興信に田中一夫名で10万1千株、アナヒナ商事に中江佐和子名で2万株入っていますので、JBSに入れていた株数を25万5千株とすると、合計で37万9千株となります。JBSに入れていた株数を40万株としますと、52万4千株となります。もうこの辺は、私の方は反証に余裕と自信を持っておりますので、少々検察の有利なように考えていただいても結構です。

 これまでのところをまとめてみますと、私は56年9月末、金融に37万9千株~52万4千株の関東電化株を入れ、手持ちで74万3千株~59万8千株の関東電化株を持っていたことになります。
 先程申しましたように、56年10月1日から57年4月27日までに、112万2千株売り越しているわけですから、私は56年10月1日に少なくとも、112万2千株持っていたのです。その内、金融屋には37万9千株~52万4千株しか入っていないのですから、残りの74万2千株~59万8千株は手持ちしていたということになるのです。これは動かし難い事実です。もし株がなければ、56年10月1日以降57年4月27日まで、証券会社へ売約定をしながら株券を渡せないことになるからです。約60~70万株といいますと、約4億円~5億円相当の株券を金融屋に入れずに私が持っていたことになるのです。これも、私の当法廷でのこれまでの証言と合致する一つの証拠です。私が証言した時は、まだこの資料は弁護人すら受け取っていない時ですので、私の証言の信用性はさらに高まることでしょう。私は控えめに100万株としていましたが、現実には所有株がもっとあったということです。

 まとめますと、株式売買集計表で示されているより前に買い付けた株の手持ちが、38万5千株であり、55年以降56年9月末までに73万7千株を買い付け、56年9月末時点で合計112万2千株の関東電化株を保有していたということです。その内、37万9千株を金融に入れ、74万3千株を私が手持ちしていたわけです。そして、東証信の始まる前、すなわち57年3月末までに94万2千株売却しているわけです。4月末までなら112万2千株の売却です。金融に57年3月末残っていた関東電化の株数は10万6千株ですので、金融の持ち株からの売却は37万9千株から10万6千株を差し引いた27万3千株となりますので、94万2千株からこの27万3千株を差し引いた66万9千株は、手持ちの関東電化株を売却したということになります。
 66万9千株を一株700円余りで売却したとすると、約5億円であります。57年3月末までにこの5億円で他のいろいろの株を買い、手許に持っていたことになります。最低でも78万4千株マイナス66万9千株の11万5千株の関東電化株を、57年3月末に保有していたことになるのです。
 関東電化株の取引口座と証券金融の動きを調べるだけでも、私は57年3月末、5億円以上の株券を手持ちしていたことが、客観的に証明できたのです。

 これほどの資金を持っていた私が、何故町村愛子さんの所へわずか2000万円ほどお金を借りに行かねばならないのでしょうか。何故、客観的事実と食い違うことが、検察の調書では書き出されているのでしょうか。捏造されたとしか考えられません。とするなら、本間検事の証言も明らかに偽証であったということです。
 彼は検察のバッジを指さして、「検事としてウソはつかない。」と胸を張っていましたが、実際は大ウソをついていたわけです。よくも、まあシャーシャーとウソをついたものです。しかし、あの検事はトッポイ検事です。ああも、シャーシャーとウソをついたのですから。思い出しますと笑えてきます。検察のバッジを指さして、堂々とウソをついているのですから、検察官としての誇りが彼にはないのです。同時にそれを命令した安野検事、公判において本間検事の偽証を幇助した丹波検事も、誇りをなくした検察官です。
 最近読んだ本に、検察官を辞める本音の理由として、「腐敗しつつある組織である。」というのがありました。そのような正義感に溢れている検事が辞めるのではなく、本件捜査と公判にあたった安野、本間、丹波、この三検事こそ、責任をとって検察官を辞任すべきであります。同時に警察庁生活課の責任者も辞表を提出し、裁判所を冒涜した罪を償うべきであります。

主証明③ 『57年4月の関東電化株の受け渡し状況からみての証明』


 57年3月末、私が手持ち株を持っていたことを証明する三番目の客観的証明に移ります。以下述べますことは、検察がいかにウソの調書をとり、かつ、証人、被告人を洗脳しようとも動かしがたい客観的事実です。私が町村愛子さんに、「経営が苦しいので、金を貸してくれ。」などということが、あり得ないことの証明です。関東電化株式を最低でも6万9千株、57年3月末手持ちをしていたことの証明です。(もっとも、この他の証明によって実際にはもっと持っていたことを明らかにしています)。時価にして約5千万円です。
 最低でも、これだけの株券を手持ちしていた私が、たかだか2千万円くらいの金を借りるために、何故わざわざ徹夜してまで金を借りに行かねばならないというのでしょうか。町村愛子さんの調書は、当局によって誘導されてつくりあげられたものにすぎません。

 私がこれから証明することは、何人といえども動かすことのできない客観的事実です。素人の方々にも、わかりやすいように説明いたします。

 昭和57年3月末現在、検察官請求171番経理解明捜査報告書資料8の貸金業者担保差入株券によりますと、私は関東電化株をJBSに10万6千株、担保に差し入れています。ラック所有の2万2千株は、当局側の説明にもありますように、この10万6千株に含まれているものとして考えます。すなわち、57年3月末、投資ジャーナルグループはJBSに10万6千株保有していただけと当局は言っているわけです。
 現実には、これ以外に私は最低でも数億円相当以上の関東電化株を持っていたわけですが、検察はそれを否定しているわけです。関東電化株を例にとるなら、JBSのところにあった10万6千株以上はなかったと、当局は言い張っているわけです。株の素人が頭の中で考え出したたわごとです。仮に、真実10万6千株しかないのであれば、私は証券会社に売注文を出し、売約定が成立しながら、株券を渡さなかったと、検察は言っていることになります。株の世界では考えられないことなのです。

 株式売買集計表(銘柄順)を見てください。116ページ。57年3月29日に、丸金証券の鈴木源という口座で、関東電化2万6千株を売っています。一般の方には、この回り株という考えはわかりにくいと思いますので、先にその説明をいたします。

 株というものは、注文を出し、約定が成立すれば4日目に受け渡しがされます。これが原則です。ただし、信用力のある客の場合は、買った場合の受け渡しは4日以上6日以内になり、売った場合の受け渡しは4日以内になるのです。受け渡しは全てキャッシュと株の交換です。逆に言うなら、買いの場合は3日以内に受け渡しされることは絶対にないわけです。なぜなら、東京証券取引所から証券会社へ買い付けをした株券が回ってくるのが、4日目と決まっているからです。どう転んでも、3日目に株券をもらえないわけです。すなわち、私は買いの株を、買い約定の3日目以内に金融屋(親店)に入れることは不可能なのです。

 次に、売りの受け渡しは5日目以上になることはあり得ません。何故なら、証券会社は4日目には、東京証券取引所に株券を渡さなければならないからです。買いの場合の4日目を越えて6日以内の受け渡しや、売りの場合の4日目以内の受け渡しは、証券会社がサービスとして私のような大手客にはするわけです。ところが、東京証券取引所はそんなことはしませんので、4日目には必ず受け渡しをせねばなりません。買いの時には3日目以内に受け渡しをすることはあり得ず、売りの時は5日目以降に受け渡しをすることはあり得ないのです。
 もう一点、土曜日に受け渡しはないということを覚えておいてください。すなわち、水曜日と木曜日の売買の受け渡しは、ともに翌週の月曜日となるわけです。これも一般の人にはわかりにくいことです。土曜日に市場が開いている週の水曜日に買った株の受け渡しは立会日数で5日目になるということです(注 4日目、5日目というのは立会日数のことです)。故に、木曜日の受け渡しの4日目と重なりますので、水曜と木曜の受け渡しは同日となるのです。これは極めて専門的なことですので、警察も検察も虚構のストーリーをつくる時、気づかなかったのでしょう。この知識をもとに、関東電化の株券の移動を詳しく、1日ずつ見ていくことにします。

 銘柄別株式売買集計表と、もう一つの、私が作成いたしました関東電化株だけのJBS、合同信用、そして顧客よりの預り株の移動をあらわす表2を見てください。これは警視庁作成資料をもとに作成したものです。
 さて、3月31日現在、JBSに入っている関東電化は1万6千株しかないことははっきりしています。
 先程の受け渡しのルールを思い出してください。買いは4日以上6日以内、売りは4日以内、これ以外はあり得ないということです。
 3月26日、1万株買っていますが、この株券は30日に証券会社へ取引所から回ってきます。私どもが受け渡しするのは、30日以降4月1日までということです。3月27日に5千株買っていますが、この株券は31日以降4月2日までに、必ず受け渡しとなります。以下同じです。
 次に、売りを考えます。3月26日の売り6万2千株は、逆に3月31日までに受け渡しが終っていることとなります。
 3月29日の2万6千株の売りは、4月1日までに受け渡しが終っているということです。
 3月30日の2万2千株の売りは4月2日までに、3月31日の2万3千株の売りは4月5日までにということです。3月31日の2万2千株の売りが、カレンダー上は6日目の受け渡しのようにみえるのは、先程説明しました土、日が入るからです。立会日数で、全て何日目というのはそういうわけです。以下同じです。

 これらと資料とを見てください。57年3月29日2万3千株、関東電化株がJBSへ入っています。買いの受け渡しは、4日目から6日目のルールからみて、この2万3千株は、3月23日~25日に買い約定されていなければなりません。ところが、3月23日~25日の間に、買い約定はありません。このことは、口座が抜けていたのか、あるいは私の手持ちしていた株をJBSに入れたかのいずれかを意味します。
 次に、3月30日、JBSの東証信の口座から3万6千株が出庫になっています。これは、売りは当日~4日以内の受け渡しというルールによると、26日から30日の間の売り約定と考えられます。これは、26日の6万2千株の売りの内、3万6千株分でしょう。とすると、差し引きで2万6千株の売りの株券が足りなくなります。この不足する株券は、私が手に持っていた2万6千株を売りに使ったか、あるいはJBSに入っていたかのいずれかです。(3月の資料がないので何とも言えない。でも、今の証明には影響なし。)
 3月31日の2万6千株のJBSからの出庫は、3月27日~3月31日売約定のはずです。これについては、3月29日にちょうど2万6千株売っていますので、ピッタリです。3月29日の売約定の受け渡しが、3月31日に行われたわけです。すなわち、3日目に売りの受け渡しをしたわけです。売りは4日目以内なのでルールに合います。以上までは3月分の受け渡しであり、その結果として3月末日の関東電化株の数は10万6千株になっているのです。

 4月2日、私はJBSから3万4千株引き出しています。すなわち、この時点で、10万6千株から3万4千株を差し引いた7万2千株の関東電化の株券がJBSへ入っていることになります。この3万4千株の約定は、4月2日の4日前である、3月30日~4月2日の間になされているはずです。
 3月30日の2万2千株売りの内から、1万7千株と、3月31日の2万3千株売りの内から、1万7千株をこれに当てたと考えれば、3万4千株売りの受け渡しができるわけです。受け渡しが終った分を消していっていただければ、よくわかります。
 3月27日の5千株買い、3月30日の5千株買いが、まだ受け渡しされておりませんので、3月27日の5千株は、3月30日の約定売り、3月30日の5千株は3月31日の約定売りに当てたわけです。
 とすると、3月31日の2万3千株売りの内で1千株の売りが余ります。この1千株は、私が手に持っていたことになります。なぜなら、JBSから出ているからです。今までのこれら全てを、仮に検察側よりに考えても構いません。ここからだけでも十分、手持ちの関東電化株が大量にあったことを証明できるのです。

 ここまでを整理しますと、3月末、JBSに10万6千株入っていた関東電化株は、4月2日現在では、7万2千株入っているということです。そして、中江が手持ちしていた千株があったことがわかったわけです。
 3月26日の1万株買い6万2千株売り、3月29日の2万6千株売り、差し引き
 7万8千株の売り越し分は、すでに受け渡しが3月31日までに終っている分です。すなわち、これらの受け渡しが終った後の計算として、当局は、3月31日の関東電化の残株を10万6千株としたわけです。
 逆に、3月27日5千株買い、30日5千株買い2万2千株売り、31日2万3千株売り、差し引き3万5千株の売り越し分は、約定は3月ですが、受け渡しは4月1日以降に行われているわけであり、10万6千株の残には含まれていないということを、私は言いたいわけです。つまり、この3万5千株売り越し分が受け渡しされたのは、10万6千株の残とした3月31日以降であるということです。
 
 4月1日、私は関東電化を1万株買っています。4月5日、その受け渡しを終え、合同信用へ1万株を入庫しています。
 次に4月2日に1万5千株、4月3日に2万株買っています。これらは、4月5日の売り4万5千株の内、3万5千株にあてはめることができます。4月5日の売りは、4万5千株から3万5千株を差し引いて、1万株残るのみです。
 売りは4日以内というルールにも合致いたします。ちょうど、4月6日、合同信用より4月5日の残り売り約定を受け渡しするために、1万株を引き出していますので、ピッタリと合います。
 次に4月6日の3万株売りは、4月7日にJBSより3万株引き出していますので、これまたちょうど合います。
 4月5日、2万株買っていますが、その内の1万株しか、金融には(JBS古賀へ)入れず、5千株は4月7日に売却した5千株に当てているわけです。残りの5千株は私が手持ちにしたのでしょう。そうとしか考えられません。
 4月8日、4万5千株を売っていますが、JBSより4月9日に3万5千株を引き出しており、さらに私が手持ちした5千株を加えて、4万株にして受け渡しをしたのでしょうが、それでもまだ5千株足りません。この5千株は、以前より私が手持ちしていたということです。

 素人の人は、4月7日に9千株を買っているので、それを4月8日の売りに充てたのではないかというかもしれません。しかし、4月7日に買った株券が回ってくるのは4月12日です。4月8日に売った株券を渡さねばならないのも、4月12日です。すなわち、不可能ということです。これは先程説明しました水、木曜日は同一の受け渡しとなるということです。これは素人の人には、わかりづらいことなので、検察も捏造するとき、ここまで読めなかったのでしょう。
 4月7日の9千株と、4月8日の5千株買いの合計1万4千株は、4月9日の2千株売り、4月12日の4万株売りにあてられたと考えられます。すると、4月12日の売約定の残は2万8千株となります。この残2万8千株の受け渡しは、4月12日から15日の間に行われなければルール上おかしいわけです。
 そこでデータを見てみますと、57年4月15日に1万7千株が、JBSの古賀の口座より出庫となっています。それ以外には、見当たりません。しかし、これは4月14日の売りにあてられています。従って、2万8千株については私が以前から手持ちしていたことを意味し、その手持ちを売ったということになります。

 この段階で、先程までの6千株と合計して、3万4千株の手持ちがあったことが証明できます。4月1日現在で、私が最低でも3万4千株の関東電化株を手持ちしていた客観的事実がここに存在します。

 次に4月16日の5千株売り、これも金融親店より4日以内に引き出されておりませんので、私が手持ちしていたということです。この日までで、合計3万9千株手持ちしていたということになります。
 4月21日に1万株買っています。これは4月26日、JBSの古賀の口座へ入っています。4月22日、東証信の顧客沢田さんより、3千株入庫されています。これは東京短資に入っています。4月23日に1万3千株売っていますが、この受け渡しは23日~27日の間に、必ず行わねばなりません。ところが、この1万3千株は、どこからも出た形跡がありません。すなわち、私の手持ち株を売ったということです。
 3万9千株+1万3千株=5万2千株。つまり、4月23日の時点で、最低でも5万2千株の関東電化株を私が手持ちしていたことがこれで証明できます。

 次に、4月26日に9千株売っています。この受け渡しは26日~29日に行われます。4月27日に1万8千株売っています。この受け渡しは、27日~30日の間に行われます。4月28日、JBSの古賀の口座より1万株、東証信の口座より7千株出庫されています。合計で1万7千株です。とすれば、4月26日の9千株の売りは、私の手持ち株を売ったとしか考えられず、これで私が手持ちしていたのは、合計で6万1千株となります。
 57年4月27日、JBSの東証信の口座へ7千株入庫されていますが、この7千株は、4月27日の受け渡しから逆算して、21日~23日の間に買い付けられていなければなりません。ところが、そんな買い付けはありません。4月2日の丸金証券の古川口座での買いの1万株は、すでに4月26日JBSの古賀へ入っています。すると、手許に持っていた7千株をJBSの東証信の口座へ入れたことになります。

 今、ここで証明しようとしていることは、57年3月末に、私が関東電化の株式を最低でも、どれくらいの株数持っていたかということですので、この7千株も含まれます。ここまでで、この7千株をさらに加えて合計6万8千株手持ちしていたことになります。
 4月27日の1万8千株の売り約定は、4月28日出庫の1万7千株であてて、残りの1千株は手持ち株を売ったということです。6万8千株にこの1千株を加えますと、手持ちしていたのは6万9千株となります。

主証明③の結論

 この差し引き売り越しの3万5千株は、3月の約定ですが、受け渡しは4月であります(検察よりの資料の株式売買集計表の167ページ)。3月31日の関東電化の銘柄在庫はマイナス24万5千株(169ページ)で、4月27日の銘柄在庫はマイナス38万5千株です。ということは、約定だけで考えると差し引きで14万株売り越していることになります。3月末、JBSに10万6千株しかなかったわけですから、4月約定分だけでも、3万4千株は私の手持ち分を売ったことを意味します。
 さらに、3月約定ではあるが、4月受け渡しであった分の差し引き売り越し3万5千株分があります。3万4千株プラス3万5千株で、6万9千株です。私は、3月末に関東電化株を最低でも6万9千株手持ちしていないと、現実の株券の受け渡しができなかったということです。
 57年3月末から4月末までのわずか一ヶ月間、関東電化株の動きを精査し、検討するだけで、最低6万9千株もの手持ち株が存在することがわかったわけです。
(つづく)


009 証券金融を始める前に大量の資産をもっていたことの証明-重要争点その1(主証明) (2016-09-13) . はてなブックマーク  Twitter  


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