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MA山根治blog

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005 真相との相違点と証券金融事業における私の経営理念 . はてなブックマーク  Twitter   2016-08-16

3,真相との相違点と証券金融事業における私の経営理念


一、投資顧問と水道理論(マス投資指導論)


 私は、中学2年より株の売買をすると共に株の研究を始め、18歳で投資顧問の会社に入社し、22歳で投資顧問会社ツーバイツーを設立いたしました。投資ジャーナル社の前身となるものです。
 投資顧問での社員として約4年、その後自分で投資顧問会社を経営して約6年。都合10年間、投資顧問の顧客指導のあり方を追求して、どうすれば投資顧問先に少しでも正確なニュースをより早く提供することができるか。あるいは、どうすれば、少しでも多く儲けてもらうことができるか。また、どうすれば多くの顧問先を同時に指導することができるかと悩み考え、試行錯誤を続けました。

 チャートの研究はもとより、「月刊投資家」を創刊して、調査・取材能力を充実させることを考えたり、あるいはまた、仕手にもなってみました。朝日新聞に紹介されたように、大手証券と組んで相場を作ってもみました。発行市場に協力するということで、上場企業と組んでもみました。そのような試行錯誤の中で、いつしか独立系の投資顧問会社としては、トップのシェアを誇るようになっておりました。最も若いオーナーである私が、投資顧問業界で名実共にトップに立てたのは、私のあくなき投資家サイドに立った経営理念が、多くの人に評価されていたのだと、今でも自負しております。
 月刊誌の名前を「投資家」と命名したのも、投資家のための雑誌を創りたいという私の心の表われでした。

 私は、56年7月~9月の関東電化株の暴騰、暴落を眼のあたりに見て、投資ジャーナルグループが余りにも大きくなりすぎたことに気付きました。すなわち、顧客やファンの数が多くなりすぎて、株の値動きが一方通行になってしまうということです。
 顧問先に買い指示をすると、それだけで株価が急騰し、売り指示をすると一斉に売りが集中して急落するのです。56年9月には、それにプラスして受け渡し不能説を流され、顧客の一斉売りに拍車がかかったわけです。私は大量の顧問先を同時に指導するには、どのようにすれば良いのかを連日連夜考えました。
 最初、入会者を制限することによって、推奨株の急騰急落を防ごうかとも考えましたが、正確な情報を入手し、しっかりした取材にもとづく調査をして顧客に満足してもらえるサービスを提供するためには、できるだけ門戸を広くしておく必要があると信じていましたので、入会者制限の道は取り入れませんでした。

 ここで私がとり入れたのは、松下幸之助氏の「水道理論」でした。すなわち、規格統一をし、大量に製造販売することにより、良い品をより安く、お客様に提供するということです。
 これを投資顧問業にあてはめるとすれば、大量の入会者を集め、その会費を活用してより良い銘柄を発掘し、お客様により安くその株を購入してもらうということであると考えました。マス投資指導の道を選んだわけであります。
 大量の入会者を集めることは、「月刊投資家」の人気、そしてなによりも業界一の投資顧問会社を、わずか6年で創り上げた過去の実績がありましたので私には自信がありました。
 より良い銘柄を発掘することについては、「月刊投資家」という取材をできる出版物を持っている強みと、私の能力を認めて私を引き立ててくださっている多くの政財界の皆様方との人脈により可能と思いました。
 ところが、残り後一点の「より安く大量の株を買ってもらう」という壁にどうしてもぶつかるのでした。大量のお客様を集め、特定の銘柄を大量指導するーこの結果は、どうしても一方通行の株価形成という答えしかありません。
 私が、もし検察側の邪推するように、仕手をやりたかったのであれば、私はこういった、一方通行の株価形成に悩まなかったことでしょう。なぜなら仕手というものは、まさに故意に一方通行の株価形成をつくろうとするものだからです。
 私が証拠として申請しました朝日新聞に書いてありますように、私は既に54年には、仕手として一世を風靡しておりました。しかし、仕手をやっては、投資顧問会社を実業のレベルにまで高められないと悟り、いち早く仕手をやることはやめたのです。

二、証券金融を始めたいきさつ


 昭和56年2月誠備事件が起こり、同業であった誠備グループが崩壊いたします。私は昭和54年にいち早く仕手はやらない方針に切り換えたことが正しかったと、誠備事件によって確認いたしました。
 そのような私が、今さら仕手をやりたいがために、金を集めようとしたと邪推されなければならないのでしょうか。こじつけとしか言いようがありません。もし仕手をやりたかったのであれば、私は何も悩まなかったし、顧客に高値を買わせていけばよかったわけです。しかしそれでは、投資顧問業を実業として安定させ、将来は上場するくらいの企業にまで、投資ジャーナル社を育てることができないことがわかっていましたので、仕手としての道を歩むことを、54年にやめたのです。相場というものを熟知している本当のプロの人なら、私の言っていることが自然であり、検察の主張がいかにおかしいものであるかをわかってくださるでしょう。仕手をやりたいのなら、それこそ顧客に「はめ込み」をやって、あっちこっちの証券会社から手口を出させた方が値をつり上げることになり、相場的にはよいのです。
 しかし、相場的によいのと、顧客の利益とは一致いたしません。検察の主張は、まさに相場を知らない素人の発想した邪推です。あるいはまた、お金を集めたいだけなら、何も証券金融のようなややこしいことをせず、年間利回りを1割~2割保証して、それこそ豊田商事のようなやり方で金を集めた方が、早く大きく集まったはずです。
 投資ジャーナル発刊の雑誌の信用力を利用し、年間利回りを保証してお金を集めればよかったわけです。その方が、お金も早く、しかも多く集まったことでしょう。投資顧問というものを考えないで、預り金を増やすことだけを考えていたならば、運用証券を豊田商事のように作って売っているはずです。
 しかし、私はそのようなやり方をしておりません。それは、お金を集めることが目的ではなく、投資顧問として、顧客指導の一方法として証券金融を考えていたからです。年間利回りによる運用での預かりやノリでの預かりに重点を置いていなかったことは、金を集めることが目的でなかった何よりの証拠です。結論として、私は顧客指導のより良い方向性を模索していて、証券金融を使っての指導こそ、顧客のためになると確信したのです。

三、証券金融の目的と自由投信論


 私は、一方通行にならない株価形成とマス指導という対立バランスを成り立たせる方法を、考え続けていました。そして、神からの啓示のように証券金融を考えついたわけです。以下、そのいきさつを申し述べます。

 私は投資顧問における大量指導の難しさを認識したことをキッカケとして、自由投信論を考案いたしました。私の自由投信論は、簡単に申しますと次のようなものです。
 投資信託というものは、専門家にお金を一定期間預けて、その運用成果に基づいて配当をもらうというものです。顧客から集めた金をプロが運用するのです。私はこの投資信託のやり方にヒントを得ました。はっと気付いたのです。顧客に口座ごと預けてもらい、投資ジャーナル銘柄を自分の口座で好きなように売買してもらったらどうか。こうすれば、顧客を平均して儲けさせることができるし、各会員が個々別々にやるより、投資の全性が高まると考えたのです。投資ジャーナル銘柄を売買する以上、瞬間的には下がっても、長期的には大きな損にはなりません。投資ジャーナル銘柄は、私の相場感にもとづいて選び抜いた長期上昇波動の株だからです。
 仮に一時的に損をしたとしても、投資顧問部門の指導次第で、いくらでも顧客の損失を回復させることができるのです。損して投げた株は、投資ジャーナルが買い向います。そして、客が損しても投資ジャーナルが儲けて、それを何らかの形で還元すればよいのです。
 その一つの例が株の分譲であったり、損をしているお客様にはいち早くよい情報を教えてあげるということでした。また、逆に多く儲かった人からは成功報酬の比率を高くして、顧問料をいただくようにすればよいわけです。このようにすることによって、私は利益を平均化していけると考えたのです。
 取り次いでいる時にでも、投資ジャーナル銘柄の場合は、顧客一人対投資ジャーナルと考えると、客の損は投資ジャーナルの益となります。ただし、全体で見ますと、また時間を長くして見ますと、客と投資ジャーナルは、トータルでは利害が一致します。
 また、一番大きな問題であった、買い指示をすると買いばかりに偏り、株価が急騰してしまい、せっかく良い銘柄を教えても、皆が高い値段で買ってしまうという問題もこれで解決しました。すなわち、私がひそかに良い銘柄を集めておき、これを顧客に市場外で相対で売るようにすればよいわけです。いわゆる分譲です。
 また、55年9月のようなデマによるパニックの時があっても、市場外で相対で顧客から引き取ることにより、株価の更なる暴落を招くこともなく顧客は売ることができますし、引き取った私はパニックが収まってから、プロとして責任を持って少しずつ値を下げないように売り抜ければよいわけです。

 自由投信とは、いわば、自由に顧客が好きな時に、投資ジャーナル銘柄を売買することができる投資信託です。この自由投信論の実践のためには、取引口座ごと私の指定するところへ持って来てもらわねばなりませんでした。最初、従来から行っておりました指定証券会社制度を考えました。ところが、よく考えてみますと、証券会社では、私の口座からお客様の口座へ市場を通さずに持ち株を移し変えることはできません。すなわち、証券会社のお客様同士で場外クロスはできないということです。また、違う方法で場外クロスをしても、証券会社がその事実を知れば、情報は全て洩れてしまいますから意味がなくなります。また、証券会社を利用した場合には、顧客の担保で余った部分について、分譲で分ける株を私が買い集めたりするために使うことができません。当たり前のことです。
 そこで、自社で証券金融会社を持ち、そこに口座を開いてもらえば、自由投信論を充足すると共に、機密を保持することもできますし、事務的にもあらゆる面で良いという結論に至ったわけです。このヒントになったのは、証言にありましたように、JBSの下山様の助言でした。
このような経緯から昭和57年4月、証券金融を実践することになりました。投資顧問として、顧問先である会員の方々により多く儲けてもらうために、投資指導の一環として証券金融を始めたわけです。あくまで投資顧問としての仕事の責任を果たすための延長線上に、証券金融と言うものが位置づけられるということです。この点をくれぐれも十分にご理解くださいますようお願いいたします。

 金に困って金を集めたのではなく、投資顧問として顧客により安全にかつ確実に儲けていただくために証券金融を始めたということです。
 当社にとっても、顧客にとっても、大きなメリットがありました。
 私が証券金融を始めた動機は、検察の主張する「金に困ってのこと」ではないことは、客観的証拠により、別項で十二分に証明いたしました。また、客観的経緯により、私が自分のための相場をやりたいために、証券金融を始めたのではないことがご理解いただけたと確信いたします。これだけの客観的事実を無視した検察の理不尽な主張が東京のど真ん中の、しかも裁判所というところで通用するとは考えられません。

 誤解のないようにもう一度申し上げますが、私、中江滋樹は、法律解釈や判決を争っているのではありません。その解釈判断の基礎となる調書、資料、起訴、論告の事実関係が正しいのか間違っているのかということを争っているのです。検察の主張する動機は、全くの邪推捏造であることを客観的に別項で証明したつもりです。結論として、動機の真相は、純粋に「投資顧問先を儲けさせる一手段として、証券金融を始めた」ということに尽きるのです。

四、客注株の取りつぎを中止したいきさつ


 次に手持ちしていない株も取り次ぎをしなくなったことについて申し述べます。
 57年7月頃から、私は手持ちしていない株も取りつがなくなりました。経済的効果が同じなら、刑法に触れないという見解が弁護士から示されていたからですが、そのきっかけとなったのは、私が証券金融を始める際には全く予想もしていなかった事態に直面したことです。
 証券金融を利用する顧客が投資ジャーナル銘柄だけを売買するのではなく、それ以外の銘柄の株式をも売買するという現実に直面したのです。概ね2~3割に相当する資金がそれ以外の株式の購入に充てられていました。
 証券金融を利用する会員が投資ジャーナル銘柄以外を売買するという現実は、私の自由投信論に矛盾を生じさせました。

 原則として、証券会社へ株の取引をつないでいたわけですから、顧客の損はそのまま投資ジャーナルへ預け入れられている顧客の担保の減少となります。
 例えば、1000万円ずつ10人の人が口座を開いていたとします。自由投信論に基づく当初の予想では、この1000万円×10人が全て投資ジャーナル銘柄だけを売買するはずでした。すなわち、顧客全体でみれば1億円~3億円(融資の場合)の全てをつかって、投資ジャーナル銘柄を売買するものと考えていたわけです。
 投資ジャーナル銘柄が年間平均で2割上昇すれば、元金1億円で3倍融資として3億円ですから6千万円儲かることになり、元金プラス6千万円で1億6千万円になると計算していました。会員によってデコボコはあったとしても、それは成功報酬の比率を変えたり、分譲によって安い値段の株式を余り儲かっていない人に振り分けることにより、ほぼ平均化されていくと考えたのです。
 ところが、投資ジャーナル銘柄以外の売買においては、会員の殆どがトータル的に損をしていきました。
 こうなると、例えば投資ジャーナル銘柄を7000万円分で売買し、2割儲けて1400万円、投資ジャーナル銘柄以外を3000万円売買し、2割損して600万円。すなわち、顧客は全体で800万円しか儲からなくなるわけです。しかも、中には大きく赤字になる人も出てきました。

 投資ジャーナル銘柄なら下がったところで、会員が売ってきたら、私が場外で引き取って、顧客が損をしても会社がその分儲かるので、どちらかが儲けても損をしても、後で成功報酬や分譲の値段で調節することができるわけです。
 ところが、投資ジャーナル銘柄以外の場合には、顧客はそのまま損となり、せっかく投資ジャーナル銘柄で儲けることができたにもかかわらず、トータルでの利益が減ってしまうのです。となると、会社としては成功報酬をもらえる可能性が減っていくわけです。分譲で儲けることができた利益を、どんどん投資ジャーナル銘柄以外の売買で損していくと考えていただければ分かっていただけると思います。
 お客様も私も、同じ仲間なのです。客の儲けは投資ジャーナルの儲けであり、投資ジャーナルの儲けは、ひいては客に還元されるのです。そして互いに、ヘッジし合っているわけです。

 昭和57年6、7月、私はすでにこの矛盾に気づいています。そんな時、「関東電化」の大材料を入手いたしました。画期的なチッ化アロイの特許を世界に出したというのです。VTRテープ等のテープ革命につながる夢のような材料でした。テープの大きさが、従来よりも数分の一ですむようになるのです。記録密度が大幅に高まったのです。松下、SONYが関東電化の株を買い集めたいと考えていることを知った私は、「絶対にこれは儲かる」と瞬間に判断しました。しかも、短期間に株価が上昇すると、相場のプロとして判断したのです。結果的にみて、私の判断は正しく、57年6月末716円であった株価は、57年11月末1090円となりました。
 この関東電化株を買いたいということもあり、お客様がトータルでは損をすると分かっている投資ジャーナル銘柄以外の株は取り次がないで、その分の担保を使って関東電化の株を買い集めようと思ったわけです。後は、法的な問題だけが残っておりました。
 念のため申し上げますが、この時、関東電化株を大量に買いたいと思った背景には、会員の皆様方へその後この銘柄を分譲する目的があったということです。むろん、私自身も儲けたいとは思ってはおりましたが、それには自分の金で十分でした。

五、弁護団の所見


 私は法的な問題について、当時の顧問弁護士達と出会って相談をいたしました。かいつまんで申しますと、その回答が、「顧客から依頼された株の取引を証券会社に取り継がなくとも、経済的効果が同じであれば、証取法上は灰色だが、刑法上は問題ない」というものでした。
この複雑な社会において、スペシャリストの判断を信用し、取り入れることは、事業家として当然のことと思います。この顧問弁護士の回答、判断を基本として、私は保有していない株も取りつがなくなりました。事業家として、法律の専門家である顧問弁護士の意見を信じたことを、今もって間違っていたとは思っておりません。
 昭和58年1月には、保有していない株の分譲も、営業マンに認めるようになるわけです。全ては、「経済的効果が同じであれば、法律上問題ない」との弁護士団の見解が支えでありました。株の世界で、プロと素人の違いの大きさをはっきりと認識している私が、法律の世界でプロである弁護士の回答を信用し、そのまま受け入れたことは当然のことであり、どこが間違っていたのでしょうか。 
(つづく)


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