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「福沢諭吉の正体」-補足5-“ええじゃないか踊り”の背景(1) . はてなブックマーク  Twitter   2014-12-30

 明治維新が断行された慶応3年(1867)、全国的に「お陰(おかげ)参り」が大流行した。
 この全国的な規模で展開された「お陰参り」は、“ええじゃないか踊り”として必ず日本史の教科書に取り上げられる項目である。
 しかし、「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃(はや)し立て踊りながら、600万人もの人々が伊勢神宮をめざして乱痴気騒ぎを起したことまでは事実として語られることはあっても、何故そのような騒動が起ったのか、その背景について真相が明らかにされることはなかった。
 この“ええじゃないか踊り”について、新事実の発見をふまえて、合理的な説明を行ったのは歴史家の樋口清之である。樋口は、『逆(さかさ)・日本史1』において、この騒動が意図的に仕組まれていたものであったとし、一般庶民のエネルギーをこの騒動で発散させて、そのスキに、いわばドサクサまぎれに維新のクーデターが断行されたと説明している。
 以下、少し長くなるが、樋口による分かり易い説明文を引用する。
 
「お陰参りとは、伊勢参りの一種だが、農民や町人などの一般庶民が、路銀を持たないで団体参拝に出かけ、街道筋の人々の喜捨や、庇護のお陰で伊勢参拝をすませることをいうのである。とくに式年遷宮(20年に一回、社殿を造営し、旧殿から新殿にうつしかえる儀式)のある年に、60年を周期として大流行したのである。
 ところが慶応三年のお陰参りは、例年になく“ええじゃないか踊り”を伴った爆発的なものだった。
 その発端は、江戸・静岡・名古屋・京都を結ぶ東海道筋や、甲府・松本・会津・大阪・徳島などを中心に、全国的に伊勢神宮のお札が空から降ってきたことからだった。
 夜、その町や村のおもだった家、たとえば庄屋などの屋根に、皇太神宮(伊勢神宮)のお札や、米・大豆・小豆などがどこからともなく降ってくる、という奇妙な現象が起きたのである。すると民衆は、天札が降ったというので、村中で天札祭りをやり、それから「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊りながら、旅費も持たないで、伊勢神宮へ団体参拝に出かけたのである。
 ええじゃないか踊りというのは、阿波踊りと打ちこわしをいっしょにしたようなものである。太鼓・三味線・笛などの鳴物を鳴らしながら、多くの人々が興奮状態になって踊り狂い、地主や金持ちの家に土足で上がりこんで、勝手に飲食する。いまで言えば、集団無銭旅行である。また、そのような被害に遭いそうな家は、あらかじめ酒樽や握り飯を用意して、待ち受けていることもあったようだ。
 ときには、「これもらってもええじゃないか」と、品物を持ち去ってしまうこともあったが、持ち主も止めることはできず、しかたなしに「持っていってもええじゃないか」と返答した。また、よその家の娘や人妻に、「ええじゃないか、ええじゃないか」とせまると、人妻や娘は「どうでもええじゃないか」と求めに応じる。
 そして、ひとしきり乱痴気騒ぎがすむと、「ええじゃないか、ええじゃないか、おそそに紙張れ、破れたらまた張れ、ええじゃないか、ええじゃないか」と、卑猥な歌を歌いながら一行は通り過ぎていくのである。
 このお陰参りは、記録によれば600万人にも達したという。幕末当時の日本の人口が約4000万人であり、そのうちの600万人が伊勢に移動したのだから、まさに驚くべきことである。
 そして、日本の民衆のエネルギーが伊勢に集まっている間に、明治維新は進行したのである。
 言うまでもなく、伊勢神宮の御札が天から降ったのは、奇跡でも偶然でもなく、一般民衆の耳目をすべて伊勢に集めておくために、意識的にばらまかれたものである。
 最近、そのお札を刷った版木が、京都の吉田という公家の家から発見された。
 この吉田家で伊勢神宮の御札を大量に印刷する。それを薩摩藩の侍たちが日本の北は東北地方から南は九州にばらまいたのである。とくに官軍が幕府征討に向かう東海道筋や、大阪・甲府などの軍事的重要地点の民衆のエネルギー分散をはかったのである。
 手のつけられないような大混乱が、各地の要衝で次々に起こった。
 洋の東西を問わず、内政における焦点から外部の事件に目をそらせてしまい、そうしているうちに何とかごまかしてしまう、という方法は為政者がよく取ることである。
 かくして、民衆のエネルギーをたくみに利用したり、分散したりしながら、明治維新は成功した。しかし、すでにそれ以前に、庶民の時代は到来していた。庶民は主役にこそなれなかったが、明治維新は、庶民の時代の到来を確認したにすぎないとも言うことができる。」(前掲書.P.309~P.312)

 ―― ―― ―― ―― ――
 ここで一句。
”ハロウィンに化粧落して参加する” -西海、うかい
(毎日新聞、平成26年11月27日付、仲畑流万能川柳より)

(“ハロウィンで化粧落して“ヒト”並みに”)

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