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MA山根治blog

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司馬遼太郎と空海 -その9 . 2004-08-17

 空海のルーツについて、作家は空海=蝦夷説に固執している訳ですが、真実その通りであったとするならば、功成り名をとげた55才の空海が、自らのルーツをカムフラージュするために、敢えて先祖を悪しざまに罵っていることになります。

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司馬遼太郎と空海 -その8 . 2004-08-10

 作家は、空海の人生の折々にかいま見られる言動をもとに、空海が世間的才覚にたけていたとし、「ずるい」人物であったとしばしば述べています。また、決して淡白な男ではなく、むしろ、並外れて執念深い性格であったとし、「もし空海が大山師とすれば、日本史上類のない大山師である」とさえ極言しています。とりわけ、「最澄に対する底意地の悪さ」について語るとき、作家のペンは一段と冴えていくようです。

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司馬遼太郎と空海 -その7 . 2004-08-03

 作家は、俗に「セックスの教典」とも言われている理趣経(般若波羅密多理趣品)を取り上げ、空海の性の問題を更に掘り下げていきます。この教典は、空海が重要な教典と考えていたものの一つで、現在の真言密教のみならず、他の宗派においても主要な教典とされているものです。

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飯塚事件について -その4 . 2004-07-29

 飯塚さんが面倒な事件に巻き込まれた原因の一つは、高杉良さんによれば安井誠という公務員の逆恨みであったそうです。

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司馬遼太郎と空海 -その6 . 2004-07-27

 空海の出自は、被征服民である蝦夷(えみし)であり、その死は入定(にゅうじょう)というような特殊なものではなく、通常の死であり、遺体は火葬に付された、-弘法大師空海上人に帰依する人にとっては素直に読み流すことのできない作家の筆致は、空海の女性に対する関心に及ぶと更に大胆になってきます。

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司馬遼太郎と空海 -その5 . 2004-07-20

 空海は、承知2年(西暦835年)に62才で死にました。この死の事実をめぐって、作家は「空海の風景」の中で次のように述べています。-

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司馬遼太郎と空海 -その4 . 2004-07-13

 タライ回しにされた蝦夷の人達にしたら、いい迷惑だったのでしょうね。この人達は、なにも好きこのんで故郷である東国を後にしたわけではなく、ヤマト朝廷に反旗をひるがえさないための、いわば人質として強制的に連れてこられたわけですから。

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司馬遼太郎と空海 -その3 . 2004-07-06

 「空海の風景」における主人公空海は、日本の古代にたくましく生きた一人の人間として描かれています。後世付加された3000にも及ぶ数多くの空海伝説はことごとく捨象され、できる限り当時の資料にもとづいて、作家の人間空海像が浮かび上がるようになっています。

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司馬遼太郎と空海 -その2 . 2004-06-29

 空海24才の時の真筆に接したことは既に述べましたが、その後空海関連の書をいくつか読んでみました。
 その中の一つに司馬遼太郎さんの「空海の風景」(中公文庫)がありました。

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司馬遼太郎と空海 -その1 . 2004-06-22

 国民的な作家であった司馬遼太郎さんがお亡くなりになったのは、平成8年2月12日のことでした。行年73歳。
 司馬さんの訃報は、当時勾留されていた松江刑務所拘置監の房内放送によって知りました。

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遊仙窟について -その3 . 2004-06-15

 「遊仙窟」は、万葉の歌人達に大きな影響を与えたようですが、中でも、のめり込むほどに作品に反映させたのは、大伴旅人でした。
 「松浦河(まつらがは)に遊ぶの序」という、旅人による漢文の説明を付された11首の短歌は、神功皇后の伝承を踏まえたフィクションです。

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遊仙窟について -その2 . 2004-06-08

 八年前、松江刑務所拘置監に閉じ込められ、無聊を慰めるために、書写と読書に没頭する日々を送っていました。
 万葉集、各国の風土記、あるいは懐風藻を書写したり読んだりしていると、「遊仙窟」という作品の名が本文もしくは注釈の中にしばしば出てくることに気付きました。

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遊仙窟について -その1 . 2004-06-01

 空海の縁によって「遊仙窟」(張文成作、今村与志雄訳。岩波文庫)を読み返してみました。

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空海と虫麻呂 -その5 . 2004-05-25

 虫麻呂の橋の上の乙女と、空海の住吉の海女、こべの尼僧 ― 。
 これらの女性は虫麻呂と空海の想念上の存在であるとすれば勿論ですが、仮に現実の存在であったとしても、2人の手には届かない存在であったのでしょう。

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空海と虫麻呂 -その4 . 2004-05-18

 万葉歌番号1742番の歌、― 河内の朱塗りの橋の上を、赤いスカートをはき、青い上衣をつけた乙女が優雅に通っていく、― ここには虫麻呂の乙女に対する憧憬が唱われており、この乙女は決して虫麻呂の現実の世界には入ってくることができないのです。

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空海と虫麻呂 -その3 . 2004-05-11

 高橋虫麻呂は、山部赤人、山上憶良、大伴旅人らと共に、天平時代の歌人で、万葉集に長歌15首、短歌20首、旋頭歌1首、あわせて36首の歌を残しています。

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空海と虫麻呂 -その2 . 2004-05-04

 四六駢儷体は、四六文(しろくぶん)とも言い、広辞苑では、次のように説明されています ―

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空海と虫麻呂 -その1 . 2004-04-27

 上野の東京国立博物館で空海の特別展を見てきました。三筆と称される空海の真筆は私に深い感動を与えてくれました。

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飯塚事件について -その3 . 2004-04-20

 飯塚さんが不撓不屈の精神の持ち主であるとすれば、似たような経験をした私は、二つの”不”を取り除いた、「撓(とう)にして屈(くつ)」なる生き方をしてきたと言えるようです。

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飯塚事件について -その2 . 2004-04-13

 高杉良さんは、飯塚毅さんのドキュメントの表題を「不撓不屈」とされています。
 「不撓不屈(ふとうふくつ)」-広辞苑によれば、”困難にあってもひるまずくじけないこと”という意味です。
 この言葉の意味を更に考えるために、漢字の通りに”撓(たわ)まず、屈(くっ)せず”と読んでみます。

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